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2007年2月

2007年2月28日 (水)

続編です・・・・

『うわっ!写真貼っとってや!』と嫁に冷笑されておりますが、当時、別にお互いなんて事はなかったのですが、結果、紆余屈折?を経て3年後に一緒になった訳なんです。一応、想い出写真集ってことで・・・・。(真ん中の人です)

でも、こんなシーンにも松本が居合わせてたんですね。と、いうよりも彼にその日誘われなかったら、こんな出逢い?はなかったかと。しかも、何台もあったレンタサイクルの中で、よりによって嫁の自転車に僕がまたがっていたとは・・・・笑
よく『赤い糸で繋がってる』って言いますが、これは別に男女間だけの事ではなくて、男と男、女と女の間にも、これはそういうものが存在するんだ。そう今更ながらに実感するものです。

その時、彼の計らい?で、次は今から何処を観光に行くのかって話になって、苔寺(西芳寺)ってことが分って、松本と僕で女性達を4,5人苔寺まで運んだのです・・・・。『苔寺はここから遠いから、もう、自転車なんて返して来なさいっ』みたいなノリでした。東京から来た人や、東北の人やら山口やらと、話は弾みましたよ。

松本との想い出話を書こうとすれば、避けては通れない、こんな話があると言う訳です。

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2007年2月25日 (日)

まだまだ続きます

松本とは、ほんとあちこち出かけました。『茶いこか』と言うのが出会うたびの口癖みたいなもので(笑)洒落た店を見つけては二人で入ったものです。『ちょっと付いて来いや』って言われて、付いて行ったら、岐阜の養老の滝だったり、奈良の法隆寺だったり(笑)という日もありました。
前回にも書いたように、無論、ケータイのない時代ですから、一旦走り始めたら、後を追いかけるのが精一杯で、行き先なんか分ろう筈もなく。Photo_21

写真はあまり鮮明ではありませんが、法隆寺に出かけた時のものです。
よくカメラ持ってたなあって、今更ながらに貴重な一枚です。

ある日の夜です。
もう寝ようかなあと、パジャマに着替えてた時でしたから、多分夜も10時にはなっていたと思います。下宿の窓の下から『おるけぇ~』って声がしたので、覗いてみたら彼でした。
『おいっ、ちょっと付き合えや、車で待ってるわ』と言うので慌ててまた服に着替えて、表で待つ彼の車に乗り込みました。すると、何も言わずに車を走らせるものだから「どないやねん?」と聞くと『まあ、ええがいや』って・・・・・またしばらくして「何やねんな?何処行くねん?」と聞いても『まあなっ』って言う返事以外は何も話さず、彼は車を走らせるのでした。
二人黙ったまま、車は北を目指し・・・・・「大原行くんかいな?」と言うと『まあ何処でもええんやけどな』って言うから「まあ、ええわ、何処なといきいな」みたいな・・・・。
真っ暗な、人けのない大原について、車を停めてちょっと一服しながら「何か具合の悪いことでもあったんか?」と聞くと『まあ、そら何やかんやあるわいな』と言いながら大きくため息をついて、ニコッと笑うのでした。
しばらく、何も話さず、時間が過ぎて『おっ、ほな帰ろか』って。また、何も言わずに車を走らせて、下宿まで帰って来ると『遅うに悪かったなあ、ちょっとスッとしたわ、ほなまた明日なっ』って・・・・・。

人を笑わせるボヤキみたいなものはよく言う彼だったけど、決して弱音は吐かない彼でした。人を元気付けたり、励ましたりすることはあっても、人から励まされるのは性に合わないというか、ちょっとシャイなところもある彼でした。そして多分、淋しがりやなところもあったように僕は思うのです。
そんな訳で、僕は松本の誘いは、よほどの用事がない限り、断ったことはありませんでした。

そんなある日、4回生時の10月のこと、校舎で一緒になって、彼が『この頃、N君見んなあ・・・、お前知らんか?』と聞くので「そう言うたらそうやな、どないしてるんやろ」と答えると『今からあいつのアパート行ってみやんか?』と言うので、二人で出かけることになったのです。
N君のアパートは嵯峨野の大覚寺の奥にある、直指庵の近くにあって、松本はアパートの下に車を停めると『ちょっと見て来るわ』とアパートの階段を上がって行ったものの、すぐに降りてきて『あかんわ。鍵かかってるわ』と言いながら『あっ、せやっ、ここのお店はアパートの大家さんがやってはるんやった』と言いながら、一軒の竹細工屋の店に入って行きました。その店は当時女性週刊誌にも載ったりするくらいの人気店で、僕もちょっと覗いてみようと、彼について店に入ったのです。
大家さんの話によるとN君は家の事情で2ヶ月ばかり実家に帰ると言っていたらしく『もうそろそろ帰ってきはる頃やろ』ということだったのだが、そんな話をしていると、そこへ大勢のお客さんが入って来たのだった。
大家さんは僕らに『若い女の人ばっかりやから、あんた達も手伝って』って笑いながら言うのでした。
質問されては「おばちゃん、このお箸いくら?」とか「この籠は?」とか、松本も『おばちゃんこれお買い上げっ』って、結構僕らも役に立って。
最初は新鮮で面白かったけども、10分もするとちょっと飽きてきて「松本っ、俺、外で一服してくるわ」と、僕は店を出て、椅子代わりに、表に停めてあった何台かのうちの一台のレンタサイクルにまたがってタバコを吸っていたのだった。
そして、その自転車をこぎながらそのあたりをウロウロと遊んでいると、僕の後ろから『私の自転車返して下さい』という女性の声が・・・・・・
彼女と初めて出会った瞬間でした。

Photo_22

写真は僕と出会う直前のその人です。

【続く】

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2007年2月23日 (金)

写真は貼ってないですが・・・

一応、カテゴリ分けとしては【想い出写真集】ってことで(笑)
なんせ、4年間大学に通って、ただの一度もコンピュータなんて触ったことも、見たこともない時代の話ですからね。今じゃ必須ですがね。
当時、京都産大にはコンピュータなるものが二台設置されている・・・・と、耳にした事はあるんですがね。当時のおバカな僕のレベルで言うと「そんなもん、一体何に使うんや?」みたいなね。『めちゃややこしい計算もスパッとできるらしいで』「電卓のめちゃ賢いやつやな」『一回記憶させたら絶対に忘れんらしい』「いちいち教えてやらんとあかん訳やな」・・・・・・みたいな会話を友人としたような。でも、『何年かしたら一家に一台の時代が来るらしいで』と言う友人の話には「そんなもん、要らんやろ!日本国中で一体何を計算すんねん」てな結論で。
でも、『産大の駐車場には、TOYOTA2000GTが3台停まってるで』と言う話にはすぐに飛びついて、のこのこと産大の駐車場まで見に行った記憶があります(笑)

そんな時代だから、勿論、ケータイ電話なんてものが必需品?になろうとは想像もつかないですよね。あの時代にケータイがあったら・・・・・って話もよく出てくるのですが、もしあったら、もっともっと沢山の景色だとか友人の写真が一杯残ってるんでしょうね。
でも、振り返ってみると、学生時代に松本やK平と電話で話をしたような記憶が全くないのです。やっぱりアポとる前に訪ねてみるっていうのが当時のスタイルだったんでしょうね。まあ、そうせざるを得ない訳なのですがね(笑)

大学も3回生になるとゼミが始まり、お気に入りのクラスもバラバラになってしまいます。なんせ2万?位も学生のいるマンモス校でしたから(笑)同郷の先輩でさえ4年間で一回しか出会わなかったのです。(僕があんまり学校行ってなかったという説もありますが・・・)
そんな訳で、なかなか友人達と出くわす機会も減ってきます。それでも分りやすいのは、衣笠学舎の以学館に行けば、そこは経済・経営学部の専用校舎?でしたから、地下の食堂あたりで待ち伏せしていると誰かには出会えたものです。
その地下には大食堂と、洋食風のグリルとがあって、松本はよくグリルの方で食事をしていました。K平さんは大食堂(笑)
当時30円でラーメンが食べられました。50円出せば、一番安い定食が食べられましたよ。定食とは言っても、高野豆腐のフライにキャベツを機械で切ったようなみじん切りが皿に乗っていて、あとは具の殆ど入ってない味噌汁に御飯。
僕は授業には出なくても、飯だけは学校に食いに行ったりしてましたから、ちょっと松本に用事のある時は、グリルの前で待っていたということもありました。ちょっと待ちきれなくて先にグリルに入って150円もするチキンカツランチなんかを食べていると『おっ!お前何かええことあったんか?』なんて言いながら松本が入って来て僕をちゃかすんです(笑)

もしもあの時にケータイというものがあったら・・・・・とは思うものの、いや、なかったからこそ、みんな良く足を運んだんだって、会話は口でするもんだって・・・・。

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2007年2月22日 (木)

現実と夢の中

Photo_20 こうしてブログを書いていると、未だにこの画面の向こう側に松本がいるような、そして、このブログを見てくれているような、そんな気がしてなりません。

出会った時に、よく僕が、昔のつまらない想い出話をすると、大きく相槌をうって腹を抱えて笑ってくれました。ブログの記事も『読んでるで』って、電話をかけてきてくれたりもしました。

こうして、続々と想い出話を書き連ねていると、きっと、あいつも読んでくれているのだろう。そして、大笑いしてるんだろうなって、ふと思ってしまいます。

この懐かしい想い出話を共有してくれる、大事な友がいなくなってしまったという事が、現実であることに違いはないのだけれど、僕はもう少し、一緒に夢の中にいたい。そんな気持ちでいます。

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2007年2月21日 (水)

さりげなくまた続きです

松本には、よく授業で代返頼まれましたよ(笑)
『ちょっと行かんなんとこあんねん、代返頼むわなっ!』って。「行かんなんって、ここにおらなあかんやん(笑)」みたいな。そしたら彼について行くっていう奴の分まで代返頼まれて・・・・。

『○○君』「ハイッ!」・・・『○△君』「は~い」・・・『松本君』「はいはい!」・・・ってね。自分の名前呼ばれて返事し忘れて「ここにおりますからっ」ってな時もありました。たまたま『じゃ、松本君に15P読んでもらいましょうか』なんて、教授が知ってか知らいでか松本を指名した日がありまして。僕が「ちょっと今退席してます」と言うと『早引きかな?』って(笑)

いちご白書をもう一度・・・・なんて歌が流行りました『学生集会へも時々でかけたぁ~♪』なんてね。でも、僕も松本も皆目無関心でしたね(笑)。
ある日、ハンドマイクで『民主の砦を守ろう』なんてアジってる奴がいたかと思うと、なにやら見たこともないヘルメットの集団が構内に攻めて来まして、こちらは人を沢山集めて腕組みしてね、人間の鎖みたいなのを急遽何重にも作って『帰れ帰れ帰れ~っ』なんてやってるんです。火炎瓶こそ飛んでこなかったものの木とか石とかね、いっぱい飛んできて、ワオ~とかウワ~とかねもう悲惨。僕らも一緒になって『帰れ帰れ帰れ~』ってやりましたよ屋上の上からだけど(笑)
で、『合ハイへは時々でかけたぁ~♪』ってとこでしょうかね(笑)

実はくだんの合ハイには2度ばかり参加したような記憶がありまして。楽しいかな?って期待はあるんですが、あんまり好きじゃなかったすね(決して良い思い出がないから言っているのではなくてね!)
まるで集団お見合いみたいでね・・・。みんなで品定めしているようで(笑)それが楽しいのだろうけども、やっぱよく考えたらちょっとね(笑)・・・みんなも目の色変ってるし、しまいに女の子の前で『お前っ、もうちょっと気の利いた服なかったんかいっ』とかね『そのおかしな帽子なんとかせいや』とか『お前、昨日可愛い子と二人で歩いとったやないかいっ』等と、あることないこと言い合いして足の引っ張り合いに・・・・・。
女の子と『ご趣味は?』なんてすまして話しているよりも、昨日の友は今日の敵?みたいな、う~んあいつはそう出るかぁ、こいつはこうするかぁ・・・みたいな駆け引きの方がよっぽど面白かったですね。
宝ヶ池での合ハイの時、みんなペアになってボートに乗ったのですが、男女15人ずつ位、同じ数だけ参加してた筈なのに、ボート乗り場で一人だけ呆然と立ち尽くしている友人がいてね。ボート漕ぎながら周りを見渡したら、何と一人で二人の女子乗せてる豪傑?もいました(笑)『アホォ~ちょっとは遠慮せいや!』みたいなね。

Photo_19

写真は、僕の下宿に彼が遊びに来た時のものです。
部屋の主は後ろにいる人なんですがね(笑)

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2007年2月20日 (火)

またもや昨日の続きです

体育会。やっぱり昔は硬派でして、なかなか辞めさせてもらえなかったのです。キャンパスで先輩に見つかると、腕をぎゅっと抱えられて、スクールバスに引きずりこまれそうになったり『お前、そんなもん簡単に辞められるて思とんのんか』みたいなね(笑)・・・・・ちょっと学校行くのも、抜き足差し足でキャンパスを歩かなくてはならない時期もありました。優しい先輩は下宿まで訪ねて来てくれて『もう一回、一緒にグランドに出ようや』なんて。ここで僕が『はいっ!』なんて答えようものなら、これはまるで青春スポ根もののドラマみたいに・・・・・言いそうだったけども(笑)
要するに、先輩方の意見をまとめるに『お前、なかなか貴重なキャラしてるから、惜しい。マネージャーでもいいから残ってくれんか?』みたいな・・・・。そっちの方かいっ!みたいな。
体がもう限界や、多分向いてない、等とは感じながらも、やっぱり辞めるっていうのは実際辛かったですよ。

そのころクラスの教室も盛り上がってきていました。ホームルーム的な時間などでは、姫路の松本が『お~い!福頼。お前、昨日、三条京阪であった話、みんなにも聞いてもらえや』とか言うと、福頼が教壇に立って『昨日の夜の9時頃や、三条京阪のなあ・・・・』って皆に話を聞かせたりするんです。そして『めちゃベッピンに声掛けられてなあ・・・・・』とか言ったりしていると他の誰かが『お前、それって髪の毛の長い背の高い女やろ』って笑いながら言うと『せやっ。何で知ってるねん』『それは、あのあたりでは有名なオカマちゃんやんけ』って・・・・みんな大爆笑。
ある日は『福頼が、女の子と知り合う方法考えてきたらしいから、みんな聞いたってんか』って松本がリードすると、またまた彼が『え~それでは』って真面目な顔して話し始める。
教授が入ってきても『まあ、そのまま続けて続けて』って教授まで一緒になって聞いている。『え~っと、まずは、映画館なっ!』・・・・なんでも映画館に入る時にちょっと目をつけた子の横に座って、映画が始まって30分くらいしたら、トイレに行くふりをして席を離れて・・・・で、10分程したらまた戻ってきて『ごめん、席外してたから粗筋が分らんようになってしもた。簡単に教えて』って聞くんだと(笑)
他にも、公衆電話で話しをしている女性の話が終わるのを待って、終わればすぐその後で自分も電話をかけるふりをしながら『あっ!このお釣りあなたのじゃないですか?』と、あらかじめ用意した小銭を見せる・・・・・(笑)
まあ、実にくだらん話をするものだから非難轟々ではあるのだけれど、もう可笑しくて可笑しくて・・・・。
そんなこんな調子で、またある日は松本が『それでは今から合ハイの交渉係りを指名します』って。今では合コンって言うようですが昔は合同ハイキング。略して合ハイ。
『○○と△△お前ら来週までに話まとめて来てんか』ってね。
実際、係になってしまった者は、他の女子大なんかの正門で『こちらは男20人、そちらもじゃ20人でお願いします』なあんて、ちゃんと日時まで決めて来てくれて(笑)
『この指とまれ』なんてやったひにゃあっと言うまに定員オーバーに。

面白い奴がいるもんだと、感心することしきりで。特に目立ってました、松本君。

【続く】

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2007年2月19日 (月)

またまた続きます

お気楽な、人生論とは程遠い日記にお付き合いいただいており申し訳ありません。m( __ __ )m ・・・・・・

何か、訳のよく分からないまま、体育会系としての生活が始まりましたが、ちょっといい感じでしたよ。登録したその日からR大のバッジと、何かしらアメラグ協会の会員証みたいなのがもらえるんです(笑)ちょっとミーハーですけどね。
今はない?衣笠グランドでの練習がしばらく続くのですが、練習中にそのグランドを応援団の下級生が横切って通過したんです。そしたらキャプテンの石本さんが凄い剣幕で『こらあ~っ、お前ら練習中のこの神聖なグランドを何やと思とんねんっ!』ってね。体当たりを食らわせんばかりに怒鳴ってるんです。その剣幕に団の下級生がペコペコ謝ってたんですが『お前らでは話にならんっ!幹部呼んで来いッ』ってね。
そしたら幹部が来て謝罪?してたりするんですが、まあ何か知ら凄いところに入ってしまったもんだと・・・・・。
授業のカリキュラムも本格的に始まると、新入生のクラブ勧誘も終わります。そしたらいきなり『新入生歓迎合宿』なんてのがありまして。何処だったか忘れましたが、泊り込みで練習。もうへとへとですよ。・・・・・・夜は夜で先輩が新入生の部屋にケチャップとマヨネーズを持ってきて『お前はどっちが好きや?』なんて聞くんです。まともに答えた友人は下半身ケチャップだらけにされるという、もう訳の分らん歓迎でね。僕はトイレに逃れて無事でしたけどね(笑)
アメリカンなんて、当時はそれほど人気もなくて、テレビなんかでも殆ど放送もなかったような時代。何人でするのやら、どうすれば何点入るのかも分らない中、先輩に『ルール教えて下さい』って言っても『ルール?そんなもんあらへん!敵の陣地にボール持って走って行ったらええだけや』って笑いながら答えてくれるだけ。
とにかく毎日が走れ走れ、当たれ当たれ、の連続で。プロテクターつけてヘルメットかぶって、汗まみれになって、傷だらけになって、打ち身や、多少の出血なんてケガのうちには入らないようなそんな毎日でした。
本格的な練習が始まると、衣笠からスクールバスに乗って、洛北の柊野グランドまで毎日通います。まるで隔離されたような山の中でしたね。
当たる練習も最初は怖かったですよ。最初は先輩に当たりに行って受けてもらうのですが、『よし!今度はこっちから行くぞ』みたいなね・・・・・ゴワンって音がしたかと思うと2、3m飛ばされてますから(笑)

西京極球場で関東の大学と練習試合をしたりするのですが、普段は練習に参加している人数だけではチームにならないはずなのに、もちろん僕らのような新入生は出してもらえないし、出たいとも思わないし(笑)試合が近づくとマネージャーがあちこち連絡を取るんです。ちょっと家の都合で田舎に帰っている人とか、学校にあんまり来てない人とかに・・・・そしたら当日にはちゃんとチームが出来上がってる(笑)

まあ、そんな調子で体育会系のノリも厳しさも面白さも満喫?し始めた頃、やってしまいます。
練習中に激しく当たった瞬間、首に激痛が走り、体中が痺れて、ばたっと倒れたまま動けなくなり、目を開けると景色がぼやーんとオレンジ色がかって見える。電気みたいな星がバチバチと一杯まさに満天の星空・・・・・・
人間不思議なもんで、意識はあっても首がどうにもならないと絶対に起き上がれないんですね・・・・・・必死で起きようとするのですが、尻を上げたり下げたりしかできなくて全くもって無様★
結局は頚椎の捻挫。首がちょっとへッ込んだ様子。亀じゃあるまいし、これじゃ目が出んどころか首も出ん・・・・・・
しばらくは練習を休ませてもらって見学みたいな状態になるのですが、新入生の一人減り二人減りの中、僕も退部を決意するのです。
藤本に聞いてもらえば分ると思いますが(笑)夏休みまでもたなかったね。僕の体育会生活。
でも、藤本はエライですよ。僕と同じ全くの素人で始めたこのアメラグ。最後まで頑張って後に、R大アメリカン・フットボール部のキャプテンを務めることになるんです。どんなことがあっても僕は、彼には絶対頭の上がらないところです。

【続く】Photo_17

写真は数少ない、彼との一枚です。
大教室にて。

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2007年2月18日 (日)

満14歳になりました。

Photo_15 だらだらと日記みたいになっております【人生論】?は一休みして、今日はエリーの満14歳の誕生日。一枚、今日の写真を貼らせていただきます。

うちの家に来たのが14年前の4月29日ということで、正確にはまだ完全には、まる14年間、この家にいるって事にはならないのですが(笑)。とても元気で今日までお付き合いしてくれております。

病気という病気もなく、ちょっとしたオデキとか、軽い熱中症とか、侵入してきたネコに顔を掻かれた程度の事はありましたが、ほんとに健康そのものです。
最近、ちょっと耳が遠くて、起きている時でも難がありますが、一旦寝てしまうと、もう全然少し位の物音では目を覚ましません。まあ、もともと最近は一日20時間睡眠を実行?しておりますから、早く言えば【番犬】はすでに退職しておる状態です。

ちょっと目の方も怪しくなってきてはいますし、邪魔臭いのでしょうか、人付き合いも悪くなってきてはおりますが、とにかくは今日の誕生日を祝ってやりたいと思うのです。

おめでとう♪

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2007年2月16日 (金)

また昨日の続きです・・・・

入学してしばらくすると、少しずつ周りの様子が見えてきます。一番目に付いたのは奈良の藤本。ジーンズがとてもよく似合う、クラスでもNO.1のカッコ良さでした。癒し系な印象の石川。突っ込み専門の北岡。真面目で背の高い出井。前から見ても横から見ても後ろから見ても、どう見ても遊び人にしか見えないR高から来た山本に吉川。ラグビー部のやんちゃなこれもR高の川崎。京都の呉服屋の御曹司の有吉。正露丸の御曹司の柴田。めちゃハキハキしてた黒松。スポーツ万能の西川。一見外人っぽい倉敷の中道。いつもチリ紙交換の軽トラに乗って通学してくる25歳の竹田。奥のありそうな西山。加山雄三が大好きでヨット部に入った若大将の松本、そしていつも松本とコンビを組んで笑わせてくれた青大将役の福頼・・・・・すべて敬称略(笑)

さすが寄せ集め?だけあって僕の6Bというクラスは個性派揃いでした。3,4年のゼミクラスよりこのクラスの方がとても居心地が良かったような印象も。

さて、実は、僕は入学以来、応援団の幹部の一人に声を掛けられて、ちょっと話をしたのをきっかけに、毎日その幹部に声を掛けられて。お茶は奢ってもらうわ、何でも相談に乗ってもらうわで・・・・でいつも『お前みたいな奴が好きだ。是非俺と一緒に団を守っていこう』みたいなスカウトを受けていてね。とてもいい人だったんですが、当時のRの応援団なんて言ったら硬派も極致でね。お茶を奢ってもらってる中、周りを見てたら、その幹部がタバコをくわえるかくわえないかの瞬間に下級生がパシッとライターに火をつけて、まるでスナックのお姉さんくらい手早くね(笑)幹部の話には常に『押っ忍』って相槌うちまくっているし、校内で幹部に出会ったら、両手に持っているカバンや教科書みんな放り投げて『押~~~~っス!』って合掌してるし(笑)
とにもかくにもそのスカウトから逃れるためには、なんでもいいから他のクラブに入ってしまわなくては!というのが僕のおバカな結論で。

心を決めた翌日、僕はサッカー同好会に入ろうとキャンパスをうろつくのですが、見当たらず・・・・・ちょうどそこで同じくうろついていたクラスの藤本を見つけ・・・・・彼が言うには『ちょっとアメ・ラグ覗いて見やへん?』
そんな訳で、藤本を始め10人位のメンバーで、先輩に誘われるがまま練習グランドに入ります。10分ばかり練習を見学して『なかなかカッコいいやんな!』なんて言っているとキャプテンらしきイカツイ人が『全員集合~~~っ』って声をかけて、僕らの前に部員が集合したかと思うと、即座に円陣になって僕らを取り囲み・・・・・・そしてキャプテンが言うのです『今から新入部員を紹介する』・・・・・・続けて言うに『よし!ほんならお前ら端から順に出身高と名前言うていけっ』
一番端にいた奴がどぎまぎしながら「○○高から来ました△△ですっ」と言うと『声が小さい~~~もいっぺんっ!』・・・・・・・もう有無を言わさずとはまさにこのことで。僕も藤本もありったけの声出して自己紹介しましたよ。
全員の紹介が終わると『よし!そしたら明日からしばらくここで練習に入るから、明日は10時にここに集合な!絶対来なあかんぞっ!』

そんなこんなで、突然な事に、僕の体育会生活が有無を言わさず始まるのでした。

続く・・・・・笑

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2007年2月15日 (木)

昨日の続きです・・・・

当時のR大はライバルのD大(向こうはライバルだなんて認識は全くないのですがね)によく比較されて、京都では『R大生は親孝行』なんて良く言われたものでした。記憶は定かではないのですが授業料もD大と比較して安かったのでしょう、年間8万円という時代でしたが、それはそれで大変な額だったとは思いますが。
大学に入ってクラス分けがあって、40人程度のプレゼミのような形式で、一応ホームルーム的な時間が持たれます。まず最初に、一人ひとり自己紹介を、というような時間があって、順番に立って紹介を始める訳なんですが『網走から来た○○です』とか『因島の○○です』とかね。中には『大阪の○○です、社会人休んで入学しました。25歳です』なんてオジサンも混じってましたけども。
みんなの自己紹介をまとめるに、エスカレーターでR高校から上がってきた者が10人程度、他大学を落ちてここに来たという者が約20人、何処でも良かったという者と、京都が好きでという者が10人程度の計40人。・・・・・何か最初から盛り上がらないったらこの上もなくて・・・・。
そして、一番多かったコメントが『いいバイトあったら教えて下さい』みたいな。こんな寄せ集めみたいなクラスってと心配になったりも。でも、もっとがっかりしたのは他でもない、クラスに女生徒が一人もいなかった事(笑)

そして、そんなこんなの中、僕の学生生活は始まります。なんか不安でしたよ、みんな真面目なのか白けてるのか全く分りませんから。

僕は正直、D大を落ちてR大にという進路だった訳ですが、確かにD大の前を通ると、目にする景色がとてもカラフルで(笑)お洒落というか派手というかね。その点Rははっきり言って地味。モノトーン。(今なら逆にお洒落なのかも知れないけども・・・・)
そして、耳にはしていたけれども、左翼的巣窟?のような校風、教授陣も生徒会も。冷暖房もない教室はガラス割れたままだし、何かある毎にキャンプファイアーじゃあるまいし焚き火つけて輪になって歌ってるし・・・・・
とまあ、そんな印象で。でもよく考えたら、遊びに来たんじゃないんだから、地味に溶け込んでしまうのもいいか!?みたいな結論で。

よく昔、旺文社の蛍雪時代なんかの表紙を見るに、キャンパスの緑の芝生の上で数人がギター抱えて、楽しく歌を歌っているような風景があるじゃないですか(笑)
まあ、程遠いものでしたね、憧れとは。芝生のしの字もないんですから・・・・・。まあそんなレベルの頭脳構造しか持ち合わせていなかったおバカな僕の入学当初でした。

【人生論】などとは程遠いお話になっておりますが、また続きます(笑)

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2007年2月14日 (水)

中年ジャンプ的【人生論】

バレンタインだというのに、ひどく大荒れのお天気です。まあ、僕みたいなおっさんには、あんまり関係はないのですがね。

もともとが、このブログ。中年広場みたいな、ちょっとレトロな憩いの場みたいなね、そういう場所が提供できたら・・・・というのが僕の思いでして。故に、あんまりパッとしない今現在の話も交えながら、昔懐かしの記憶の中から、面白い話などをお聞きいただこうかと・・・・・。
もうすぐ、丸一年になるこのブログも、お陰様でいい人ばかりに集まっていただくことができて、私の思いも通じたのかなと、感慨も深いものがあります。

とても残念なことに、先日、大事な友人を失ってしまい、改めて彼の事や、自分の大したこともない人生などを振り返ってみたり。
もちろん、タイトルにあるような【人生論】などと大げさな事など書ける人間ではありませんが(笑)適当なタイトルを思いつかなくて。

僕は子供の頃、とても内向的で、遊びといえば絵を描いたり、プラモを作ったり、犬と遊んだりと、どちらかというと男の友達よりも女の友達の方が多かったような。ダックスさんともよく毎日くらい遊んでいたような記憶があります。
運動が大の苦手で、ドッジボールや鬼ごとやかくれんぼ等、みんなの格好の餌食になって、今で言うイジメの様なものに遭っていたつらい時期の記憶もあります。

こんな記憶もあります。
小学校の遠足か何かで、お寺の境内に全員整列している時、何羽かの鳩が僕らの上を飛んで通過していって、糞を落としていったのですが、よりによってそれが僕の帽子だけを直撃する。テーブルマナーの最後にフィレステーキが出てきたのは嬉しいが、僕の肉だけあきらかに他の誰の肉よりも小さいし焦げている。修学旅行で旅館に泊まった時、当時アイドルだった小林幸子がその旅館に遊びに来ていて、旅館の主人のちょっとした計らいで、急遽サイン会が始まって、みんな列を作って一列に並んで、自分のTシャツやノートにサインをしてもらう。何十人の子がそのサインをもらっただろう。そしていよいよ僕の番。ワクワクしながら小林幸子の前に立つと『ごめんなさい!今からお仕事あるから、ここで終わりますねっ』・・・・。そして大広間から自分の部屋に戻る時、ぐずぐずしていたら最後になって、前にいた子が履いたのが最後、僕が履くスリッパだけがない。そして、ちょっと恋心を抱いた女の子は転校してしまうし・・・・・・。
思い出せば、どこか、まぬけな、何かしら足りない、ぐずい、幸運とは全く縁のないような暗くも淋しいような僕の姿が浮かび上がってきます。それでも厳しいながらも父は優しかったし、母の愛情は格別に感じながら、自分にはとても居心地のいい居場所があったのは間違いのない事実で、ここのところは改めて感謝するものです。

ところが、中学に入って、違う校区から来た一人の友人とめぐり合ってから、僕の全く面白くも何ともない?生活は一変します。同じクラスで、同じバスケ部に入って、休みの日も一緒に遊ぶ。そして、だんだんと交遊も広がり、苦手だったスポーツも大好きになり体力もついてきて、かつてイジメられた奴らをからかえるようになるほど、一人の男としての自信みたいなものが備わってきたのです。
無論、内面的にそういった要素みたいなものも、もともと僕は秘めていたのだと言えばそれまでかも知れませんが、一人の友人と知り合う事ができたことによって、新しい一面がうまく引き出されて行ったのだろうと思う訳で、このあたりで僕はやっぱり友人の大切さを身にしみて感じるということになります。
いやいや行っていた小学校と違い、学校に行くのが楽しみで仕方がない中学校生活でした。

やがて中学、高校と、僕はとてもいい友人達に囲まれて成長(多分ですけど・・・)していきます。そして大学へと進んで・・・・。
ここでもやっぱり不安だらけでした。丹波の山奥から京都という大都会(そう思ってました)に出て行く事。憧れだった京都で生活できるんだという嬉しさと、やっぱりまだ心の奥底に残る、僕の弱気なところが交錯するのです。

やがて、大学での生活が始まって、同じ下宿になったわかめさんと知り合い、その下宿のすぐ近所に住んでいたK平という友人を得、クラスが同じだった松本という友人にめぐり遭うのです。もちろん同郷の友人とも交遊は深まるのですが、大学に入ったことによって知り合えた友人として紹介していきたいと思います。

長くなってしまいました。この続きはまた次回に書かせていただきます。

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2007年2月10日 (土)

突然の電話で・・・・

一昨日、Tomさんから携帯に電話が入って、慌てて出ようとして間違って切れてしまって・・・・・
今日はまた遊びにでも来てくれるのだろうと思いながら、すぐに携帯に掛け直したら、電話に出たのは彼の奥さんでした。

「ごめん切れてしまった(笑)」・・・・・
『あの・・・・・』
「どうしたの?」
『主人が・・・・・・』

大学時代以来の付き合いを続けてきたTomさんこと、松本智典君が、突然倒れて急逝しました。6日の夜だったそうです。
あまりにも突然で、言葉もなくて・・・・・
彼女の声を聞いていたら僕まで泣けてきて、お悔やみも慰めも言えなくて。

今日、姫路まで彼とのお別れに行って来ました。遺影を見るだけで泣けてきて。葬儀の間中そのにこやかな表情の写真ばかりを見ていました。
そして、大勢の人達に見守られて、松本は斎場を出て行きました。もう二度とあいつの優しさに触れる事はできません。

一緒に過ごした京都での楽しかった想い出とともに、今日の一日の記憶は決して忘れることはありません。

松本。ほんまにありがとうな。060313_114101_1

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2007年2月 7日 (水)

第十一回【おさむ版青春のうた】

下宿生活をしていると、有難いことに、ほんとに色々な友人が訪ねて来てくれるものです。昔は、携帯電話なんて便利なものがありませんでしたし、もちろん個人で電話つけたりなんて事も考えられない時代。先ずは訪ねてみる(笑)『お~いっ!おるかあ~』なんて調子。
TomさんやK平さんやY君、N君なんかもしょっちゅう来てくれたものです。わかめさんは隣の部屋ですから訪ねなくても大声出したら話ができるくらいでしたが・・・・・。

その日はバイト先の一年後輩、長崎出身のU君が訪ねて来てくれました。二人ともバイトはその日の夕方からということで、午後のちょっとした時間を二人でギターなどを弾きながら過ごしました。

『なんか二人で録音してみるか?』みたいなノリになって、U君が『これやろうよ!』と言ったのがこの曲です。僕も初めて歌う曲なので、とりあえず2,3回練習してラジカセに録音してみました。
もちろん歌は私(笑)ギターを二人で合わせました。

【あどけない君のしぐさ】井上陽水
「07_7.wma」をダウンロード

※全然、陽水じゃないです。あしからず。

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2007年2月 4日 (日)

先日は・・・・

Photo_262 2日は、休みだったので、ちょっと遠方へ出かける予定をしていたのですが、あいにくの積雪にて取り止め。買い物に出かけた以外は、ほとんど家の中にいて。
おかげで?ゆっくりのんびりできました。
あんまりぼけ~っとしてても惜しいから、久々にギター等を練習してみたりとか。何かね、うまく指が動かないのが癪で、気がついたら3時間ばかり弾いていましたけどね。
もともとが独学でね、楽譜もまともに読めない私なのですが、学生時代はほとんど毎日ギターに触れていたものです。

一度でもギターをやったことのある人なら、誰しもそうなると思うのですが、テレビでライブを観たりすると、勿論、歌手の歌声に聴きほれたりするのですが、やっぱりギタリストの方に目がいってしまうものです。
その点、拓郎さんは偉い!歌も聴かすし、ギターも魅せる。だから歌も聴かねばならないし、ギターも見ておかねばならない(笑)

あと、やっぱりいいなあって思うのはギタリストの石川鷹彦さん。実にいい。アコースティック奏者の最高峰かと。なんで、あんないい音が出るんだろうみたいなね。
名前がピンとこなくても、かぐや姫なんかのコンサートではいつもバックでアコギ弾いておられますよ。

そしてそして写真の長谷川きよしさん。
たまたま、ギターの練習をしたその日の夜、NHKのBSで放送してたんですねぇ。
『別れのサンバ』や『黒の舟歌』なんかで有名なんですが、いやあ、いつ見てもギターのすばらしいこと!
驚嘆とか感動とか、そんなもんじゃなくて、なんと言おうか、例えば、僕なんかが仮に50年間毎日ギターを触って来たとしても、絶対に彼みたいなギターは弾けないだろうなあっていう、まさにもうこれは【嫉妬】。
ギターっていいよね(笑)

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2007年2月 1日 (木)

ちょっと目にした話(2)

週刊現代の1/20号によると、“座ション”てな話が取り上げられている。“すわション”と読むらしいが、温水洗浄器などのトイレ機器を製造する松下電工広報部の調査によれば’99年と’04年に全国の成人男性を対象に『小便を立ってするか座ってするか』についてアンケートを行ったところ、『座ってする』と答えた人が15%から30%に倍増していたというのである。
また、本誌の独自の調査でも、40代~60代の中高年男性100人に答えを求めたところ『座ってする』と答えた男性が21%との結果が出たそうな。
その『座ってする』の主な理由は以下のとおり。

◎31%・・・・家人の強制
○19%・・・・衛生・美観のため
▲13%・・・・楽だから
△ 6%・・・・習慣
★31%・・・・その他

その他の理由がいまいち分らないところではあるものの、私にはちょっと意外なデータではある。確かに、男性なら狙いが定まらず(笑)ちょっと『ありゃ!』っと、大きくストライクゾーンを外すという経験をお持ちであろうかとは思いますが・・・・・そういうことの積み重ねによる家族の不満が如実に表れてきているようにも思われますが、第一に一般家庭のトイレで男子用便器なんてのがついていること自体が稀なのでね。外では立ったままするという習慣的な・・・・・え~一体何を書いているのやら意味不明になってきておりますが。
要は、もしも外したら、後始末くらいちゃんとしておけばとも思うのですがね、世の中にはだらしない親父が圧倒的に多いのも事実であろうかと。

『便座が上がっているだけで妻に怒られる』というご家庭もあるようですが、皆様のご意見お聞きしてみたく思うのでありますが・・・・・・。

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