カテゴリー「想い出写真集」の33件の記事

2008年1月15日 (火)

前回は非難ごうごうだったので・・・

Photo 今回は、出てきた写真で真面目なものを貼らせていただきます。

特に、わかめさんとエンデママさんにはこっぴどくやられてしまいましたので(笑)汚名挽回といきたいところです(^^;
学生証のおちゃらけた写真はウケを狙って、ふざけて撮ったものですからして、普段は実に真面目な学生生活を送っておりましてね。

写真はアメ・ラグで鍛えた(っていうよりシゴキ抜かれて?)自分的には、体育会系としての絶好調時の写真です。多分。
首も腕も太くなっていて、なかなかのお気に入りなんですがね(笑)
顔についてはとやかく言わないでね!

ちなみに愛犬は『チビ』。何故かしら夜逃げしていなくなってしまったのですがね(笑)

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2008年1月12日 (土)

七変化・・・・?

Img018 前回、多数の方(二名・・・笑)からご要望をいただきました、osamuchanのお受験用の写真です!
学生証を重ねてスキャンしました。(学生証の左側は色々と書いてありますのでね、伏せてありますが)

一番左が、その問題の?丸坊主の写真で、これが一回生時の学生証に貼られています。真ん中が二回生時、右が三回生時のものです。
まさに七変化でしょ(笑)

都会は嫌ですね!こんな純情無垢な少年が、一年ごとに汚れてコロコロ変っていってしまう・・・・・
ほんと都会は怖い(アホっ!お前の方が怖いわっ!)

という訳で、オマケとして四回生時のヘアスタイルも貼っておきます。多分こんな頭の学生証だったように記憶してます(笑)

Img019 頭の中味は空っぽのくせに、髪だけは変幻自在の(笑)想い出写真でした。

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2008年1月 9日 (水)

写真があった!!!の2

前回に引き続き、写真があったのシリーズ?です。

高校三年生の時の秋だったろうかと思います。この僕の住んでいるど田舎の丹波篠山に、なんと【はしだのりひことシューベルツ】が来たのです!
労音っていうのかな?最近あんまり聞きませんがね、そのお陰でこの町で人気絶頂(笑)時代のシューベルツのコンサートがあったのです。

もちろん、フォーク仲間と張り切って行きましたよ。場所は僕の通う高校の講堂。開門前から並んでね、開門と同時に猛ダッシュして一番前の席に!
おんぼろ高校の講堂ですから、椅子だって木の長椅子ですよ、ステージだって音響も暖房もない、床のめくれかかった無様な会場ですよ。歌うはあの天下のシューベルツですよ(笑)でも、あの日は最高の感動でしたよ。
目の前だから手に取るようにギターのコードが判る。皆でメモ取りながら見たのは忘れられないですね。僕は質問もしたし(笑)

内容は完璧には思い出せないものの、『風』・『白い鳥に乗って』・『さすらい人の子守唄』あたりだったかと。杉田二郎さんが笑いながら「あんちゃんの歌を歌います」と言って、アンチェイントメロディーをソロで歌ったのが最高に良かったです。

演奏しているところの写真は僕が撮ったもの、楽屋(楽屋とはいっても講堂の横にある、茶道部が使ったり、クラブの合宿で使ったりする和室の会館)での写真等は写真部のI君が特別許可をもらって撮ったものです。
ちなみにシューベルツとは、よくシューベルト?と思いがちなのですが、実は『靴の紐』という意味だそうですよ。

Img012 Img014 Img017

Img015 Img016 Img013

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2008年1月 7日 (月)

写真があった!!!

去年の12月4日に書いた記事で、大事な写真がないっ・・・・てね。
とても気がかりだったのですがね、正月にごそごそと探してみたのです。
ありました!!!
ほっとしたような、うれしかったような。

この写真の詳細については、その記事を見ていただきたく、よろしくお願いしますね(笑)

Img009 いやあ、ほんとに若い。
みんな、若い。

当たり前?

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2007年12月 4日 (火)

写真がない★・・・・

現在、我が家の東隣にある呉服町町内会の公民館が改修中なんです。
改修とはいっても、新築できるほどのお金もなくて、瓦の全面葺き替えと、ちょっと建物が相当古いもので(江戸時代の末期のもの)傾きが激しくて、耐震の補強だけでもといったことぐらいしかできないのですがね。それでも少なくとも700万円位近くはかかるとのことですが。町内会の皆さんからご寄付を募り、町内会のちょっとした蓄えと、後は市からの補助で何とか支払いはできそうな見通しではあります。

ということで、秋の祭の終わった後に、町内会の皆で公民館の片付けをしました。中にあるものを全て運び出して、蔵の中にしまいこんでね。机に黒板に座布団に扇風機やストーブやカラオケや鍋や鉄板や表彰状や写真やと・・・・等など・・・・
Photo
中でも懐かしかったのは、僕の実弟のボーリング大会での優勝トロフィーです。もう40年近く前のものなのでしょうが、ちゃんと残してありましたよ。大事に新聞紙に包んでしまっておきました。
写真を撮って弟に送ってやりました。ちょっと驚いてましたけどね(笑)

で、40年前ということで、ふと思い出したことがありました。『そうだ、ここの公民館の庭で友達と写真を撮ったことがある!』と・・・・・
無性にその写真のことが気になって、家に帰って早速、昔のアルバムを開いてみたのです・・・・・が、・・・・ない。その写真がないのです。
アルバムにはちゃんとS41・10・2公民館で。と日付まで書いてあって、しかも皆で並んで撮った写真の立ち位置の順に名前まで記入してあるのに、肝心の写真だけが剥れてなくなっていたのです。他のアルバムに紛れ込んでいるのかも知れないと思い探してみたものの、見つからずで。

今は亡きK君が、一度みんなで集まってパーティーでもしょうやって企画をしてくれて、ちゃんと公民館をとってくれてね。みんなで、トランプだとかゲームだとかを持ち寄って、歌も歌ったり、お菓子を食べたりと、それはそれは楽しいパーティーだったのです。言うなれば人生初の合コンみたいな(笑)
この時の男子5人女子6人の中に、実は僕が大好きだった人もいてね。彼女とじかにゆっくり話ができたのも、この時が最初だったかと。
えっ?osamuchanの初恋ですって?笑・・・・・いえいえ僕はおませでしたからね、初恋は小学校の一年くらいの時の、隣にいた鈴○恵子ちゃん、で、その次がまた隣の寺○アッコちゃんで・・・・・アンテナの狭いこと(笑)
まあ、それはさておき、毎日、中学校で朝、彼女と顔を合わせては『おはよう』って、帰る時には『さよなら』ってね。クラスが一緒になったことはなかったので、すれ違う時にちょこっと挨拶する程度で・・・・・
でも、それがあの頃の僕にとっては最重要な日課でね。一日でも目が合わないと淋しかったりね。何かそういった胸がキュンとするような事があってこそ、毎日がクラブに勉強に頑張れたっていうかね。まっ、勉強はあんまりしませんでしたけど(笑)彼女から年賀状なんて来ようものなら、もう至福の極みでしたよ。

あの時のK君のリードに改めて感謝です。そして、僕はおバカだから高校の時くらいには、段々と彼女とは疎遠になっていってしまったのですが、あの頃の僕を支えてくれた彼女にも改めて感謝です。今でも、同窓会や街中で顔を合わせたりすると、あの頃のように胸がドキドキしてしまうんですよ。
と、そんなことを思い出してはにこにこしてしまう今日この頃のosamuchanなのでした。でも、あの写真一体何処にいったんだろ?

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2007年8月 6日 (月)

夏が本格化してきました。

暑いじゃないですか。まだまだ序の口なんでしょうが、年々我慢の限界点が下がってきているんでしょうね、バテるのも早いです。

子供の頃は夏休みというと必ず、隣町の春日町というところの父の里に、長期滞在させてもらっておりました。着替えはもちろん勉強道具も全部持ち込んで、2週間も3週間も居座っていました。他のいとこ達も皆揃って、それはそれは楽しい夏休みだったですよ。
まさに吉田拓郎の『夏休み』の世界でした。麦わら帽子、田んぼのカエル、ひまわり、夕立、セミの声でしたね・・・・・
でも夏休みというのは、必ずやらねばならない宿題があって、日記だとか、写生だとか、読書感想文だとか、自由研究だとか・・・・・おまけに、ラジオ体操に水泳・・・・それが苦痛でしたね。思いっ切り遊びたいことが一杯あって、そして山ほどしなくてはならない宿題もあって。あれもしたい、これもしたい、でもあれをしなければ、これもしなければ・・・・・・の夏でした。

Photo 中学になっても高校になっても大学生になっても、その子供の時の『・・・・・しなければ』のイメージが強く残っていたんでしょうかね、夏になると『何かしなければ』というようなプレッシャーにも似た想いのようなものがありまして、ただじゃ終わらせてはなるまい!みたいな『夏のプレッシャー』とでも言うのでしょうかね、自分の中から湧き出るようなものではなくて、まるで外圧のようなものの存在が、いつもあったような気がしてなりません。

結婚して子供ができても、この時期になると『何かしなければ』みたいな意識がありまして、必ず夏休みの間には家族旅行なんかもやってきました。これも外圧?(笑)

えっ!?今年の夏の予定ですか?(笑)Σ(・ε・;)
いやあ、もう子供達も大人になってますし、おっさんが海で泳ぐのも危険ですし、第一暑いだけだし・・・・・まあ無事に、この暑さを乗り切るということに専念したく・・・・(笑)

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2007年6月21日 (木)

シリーズ化すっかな・・・?

Photo_121 出てきました。
喫茶『じあるだん』のメニューです!
フランス語で『庭』ってことらしい。

僕が大学2年時、昭和47年の春から約2年間バイト先としてお世話になった、そのじあるだんのメニューが出てきました。ちょっと探してたんですが、なかなか見つからなくてね。本棚に入っていたのですがね。
まあ、バイトとしては長いこと勤務したというのもあって、辞める時にお願いして了解の上、このメニューを頂戴したのです。

京都は河原町今出川交差点を西に入ったところにあったのですが、同志社や立命館の広小路学舎も近く、まあ言うなれば【学生街の喫茶店】という訳です。満席になれば200名近くも入れる大きな店でした。地下がスナック、一階が喫茶、二階が中華、三階が麻雀、四階より上が社長宅といったビルだったのですが、今はどうなんでしょうかね、健在であれば嬉しいのですが。

Photo_122 ここでは、社長や、喫茶のチーフである息子さん、そしてちょっと怖い支配人等、ほんとにバイトを越えたようなお付き合いをプライベートでもしてもらったものです。長いこと在籍していたものですから、終いにはウエイター主任みたいな立場に(笑)
メニューにもあるように朝10時から夜中の2時までの通しでの勤務も何回かこなしたものです。
そして色んな人達とも知り合いました。中でも特にやっぱり、先日亡くなった長崎の浦川君。ほんと今でも、彼と過ごした楽しかった時間の記憶が、このメニュー一つ見るだけで甦ってくるのです。

Photo_123 Photo_124

メニューを開くと、当時の京都の物価のようなものも分って興味深く、面白い気がしますね。

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2007年6月19日 (火)

先日の話のクマ・・・・

Photo_118 先日6月2日に書いておりました『クマ』です(笑)リクエストがありましたのでUPしますね。

まずはosamuchan何歳か不明のおっさん顔してる写真に写っております。
おふくろの話によると片時も離さず、寝るときも一緒にというくらい大事に?しておったそうです。

特に意識してしまっておいたという訳ではないのですが、以来ずっと僕の部屋に鎮座しております。
やはり相当な年代物ですので、かなり色も褪せてはきていますが、昔はもっと濃い茶色だったと記憶しております。

Photo_119 Photo_120

今風な人形と並べて置いてみると、さすがに歴史を感じますが・・・・可愛げも比べもんにならんですが・・・・
しかし、これからもずっと僕のそばにいてくれることでしょう。はい。

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2007年5月17日 (木)

わかめさんのリクエストにより・・・

わかめさんの先日のリクエストによりまして、いかにも身内のネタなのですがN君のお話などを少々・・・・。
多分、笑って読めるのは、わかめさんとK平さんくらいでしょうけどもね!

僕の同郷の友人で、同じ大学に進学してきたN君。普段はお兄さんと二人で借りている大阪のアパートから通学していたのですが、絶対遅刻してはならない必須科目が一時限にあるような日の前日は必ずといっていいほど、僕の下宿に泊まりに来ていました。
そんな訳で、同じ下宿のわかめさんも、彼と接する機会も多かったようです。
N君自体は、ほんとにとてもいい人で(笑)勉強家でもあり、経済観念にもすぐれ(笑)割れた眼鏡を3年間も使い続けるような人でした(笑)

ある日、彼と一緒に近くの銭湯に行った時の事、二人並んで体を洗っていると、彼が言うのです『なあ・・・、このカミソリまだ使えるやろか?』・・・・見ると丁度二人の足元の排水口の所に使い捨てのカミソリが落ちている・・・・「アホか、そんな誰が使うたかわからんようなババチイもん触るなっ」と、僕は答えて頭を洗い始めたのですが・・・・突然「わっ!」と言う彼の悲鳴にも似た声がするので、慌てて見てみると、なんと彼はそのカミソリで髭を剃っていたようで、そこには顔中血だらけのN君が・・・・・で、すました顔をして曰く『やっぱり捨ててあるだけのことはあるわ』

そんな彼が、京都の上桂に下宿するようになったと言う話があって、しかも格安の2500円。当時は畳一枚千円が相場の時代に、六畳で2500円の下宿があったと言うのです。それを聞いた僕は、早速暇に任せて、彼の下宿を拝見に行ったのでした。
阪急電車の駅を降り、歩く事およそ10分、だんだんと田舎の景色に向かいます。今でこそ賑やかな場所となってはいるものの、当時は田んぼばっかりだったような・・・・・「おいっ、ほんまこんなとこに下宿なんてあるんかいな?」と言うと『まあそない言わんと付いて来いや』と言いながら一軒の農家に着く。『ここや』と彼が指差すその先は、大家さんの家らしき建物の横にぽつんとある納屋のような・・・・・。
彼に付いてその納屋に入ると、得も言えんような屁くさいような香りが・・・・・

Photo_76 なんとそこは納屋ならぬ牛小屋!
『あれがわしの部屋や』と彼は二階らしき所を指差して言うのです。
「お前、これ牛小屋やんか」『ちゃう、もう牛はおらんって言うてはった』「おらんって言うても、昨日まで牛がおったんちゃうか」『そうかも知れん』「まだ、藁が敷いてあるし・・・・」『このハシゴ登らなあかんねん』「これほんまのハシゴやんか」『気ぃつけて登れよ』・・・・・

「しかし屁くさい部屋やなあ」『一時間ほどしたら慣れるわ』「そんな問題ちゃうやろっ」・・・・・「しかし大家も考えたなあ、牛からは家賃取れんしね」『わしは牛よりかはマシちゅうことやな』笑・・・・・「しかし、底が抜けそうな部屋やなあ・・・・・まあ抜けても下は藁やから命には別状ないやろけどな」

大便は大家さんの家のを借りる、小ならその辺の田んぼでできる(笑)その部屋で匂いに慣れるという一時間ばかりを過ごしたが、相変わらずくさかった。
部屋を出てハシゴを降りて、上で見送るN君に「ハシゴ外しといたろかぁ」と言うと、必死の体で『あかんっ!それだけはやめてくれ』と言う彼でした。

※口では説明しがたいので、記憶をもとに絵にしました(笑)Photo_77

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2007年5月14日 (月)

京都市北区小山板倉町

By わかめさんから写真が届きました!
なんでも、昨日、徳島から2時間かけて京都の相国寺まで行ってこられたそうで(2時間だったら早いですよね!)江戸時代中期の画家、伊藤若冲(いとうじゃくちゅう)の絵で、宮内庁から120年ぶりに里帰りしたという『動植綵絵(どうしょくさいえ)』を鑑賞してこられたとの事。相変わらずグルメでマニアックなわかめさんではありますが(笑)その帰りに、相国寺に程近い小山板倉町へ・・・・・。

そうです!そこには僕とわかめさんが大学時代の四年間を過ごした下宿があるんです。
いやあ、写真を見て感動しましたよ。なんと僕らの時代でさえ古臭いと感じていたあの家が、まだ現存していて、なおかつまだ現役の下宿屋なんです!
僕の部屋は白壁が落ちかかっている二階。窓枠がサッシに付け替えてあるのですが、それ以外はそのままのようです。そしてその向かって右側がわかめさんの部屋だった所。
ほんと、感慨無量とはこのことです。わかめさんに感謝します。
それにしても、わかめさんの部屋ですけど、今改めて見ても狭いですね(笑)確か三畳半でしたもんね。

僕は僕で、当時は窓のところに腰掛できる部分があって、よくそこに座ってギターを弾いたものです。向かって左側に住んでおられた斉藤さん(大家さんの実弟さん)に、よく『煩い~~っ』って怒鳴られたもんです(笑)
当時は左奥に停めてある白い自転車の後輪のところが出入り口でしたが、今は大家さんの作業所(糸屋さん)が取り払われて、ちゃんとした玄関ができています。
この一軒家を、もう一人の住人であるH君との三人で借り切っていたんですね。いやあほんと懐かしい限りです。

わかめさんの話によると、わかめさんの部屋だったところは、京大生のイケメンのイギリス人が寝室に使っていて、僕の部屋はリビングになっているんだそうですが、ニュージーランド人の美女もいたということです(笑)
わかめさん、今度、また京都に向かわれる時は、一応こちらにもお誘いをかけてね(笑)

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